漢字の字源・語源図鑑

そもそも漢字とは、意味をもつ漢語という古典語を表記するシステムである。漢字だけで意味をもつわけではない。したがって漢字の成り立ちの解明は、字源だけでは半端であり、語源と相まって初めて正しい理解が得られる。本ブログは、漢字をその起源である原初的イメージに立ち返り、イメージ別に分類し、語源を究明することによって、その構造を解明するものである。

2018年10月

Ⅰ-d 人間のイメージ厄

Ⅰ-d-25 「卩」(㔾)
Ⅰ-d-25-ⅴ-ア 【厄】 *・ĕk➔・ɛk(呉音ヤク、漢音アク)
[字源]崖の下に落ちて進退に窮する情景 [コアイメージ]押さえつけられて動きが取れない [意味]進行を妨げられて行き詰まる
*図は篆文。

[解説]
まず古典における用例を見る。

①原文:孔子南適楚、厄於陳蔡之間。
 訓読:孔子南のかた楚にき、陳蔡の間に厄せらる。
 翻訳:孔子が南方の楚に言った時、陳と蔡の間で通行を遮られ、にっちもさっちも行かなくなった。・・・『荀子』宥坐
②原文:賙萬民之艱厄、以王命施惠。
 訓読:万民の艱厄を賙シュウし、王命を以て恵みを施す。
 翻訳:万民のわざわいを救うべく王命で恩恵を施す。・・・『周礼』地官・司徒

①は進行を妨げられて行き詰まる意味、②は順調な進行を妨げるもの、わざわい、災難の意味で使われている。
①の意味をもつ古典漢語を*・ĕkといい、この聴覚記号を視覚記号に換えて「厄」とする。
厄は「厂+㔾」というきわめて単純な図形で、危の下部と同じ
である。危では「厂(がけ)」の上と下に人がいる形であるが、厄では「厂(がけ)」の下に人がいる形と見てよい。
厂はᒥ形の崖の形で、岸や厓(がけ)に含まれている。㔾は卩と同じで、人が背を曲げてしゃがんでいる形。したがって厄は人が崖から落ちてうずくまっている情景、あるいは、人が崖にぶつかって行き詰まる情景と解釈できる。この図形的意匠によって上の①の意味をもつ*・ĕkを表記した。
この語には、障害にぶつかって動けない状態であるから、「押さえつけられて動きが取れない」というコアイメージがある。

〈同源語のグループ〉
d-25-ⅴ-ア 「厄」 本項。
d-25-ⅴ-イ 「扼(ヤク)」 「厄(音・イメージ記号)+手(限定符号)」。厄は「
押さえつけられて動きが取れない」のイメージ。手で押さえつけて動けないようにする情景。ぐっと押さえつける意味。扼腕。
d-25-ⅴ-ウ 「軛(ヤク)」 「厄(音・イメージ記号)+車(限定符号)」。厄は「押さえつけられて動きが取れない」のイメージ。馬の首を押さえつけて勝手に動けないようにする馬具、「くびき」の意味。
d-25-ⅴ-エ 「阨(アイ・ヤク)」 「厄(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」。厄は「行き詰まって動きが取れない」のイメージ。道が行き詰まって進めない所(狭くて通れない所)。阨路(=隘路)。

Ⅰ-d 人間のイメージ

Ⅰ-d-25 「卩」(㔾)
Ⅰ-d-25-ⅳ 「夗」
Ⅰ-d-25-ⅳ-ア 「宛」
Ⅰ-d-25-ⅳ-ウ 【腕】 ・uan(呉音・漢音ワン)
[字源]手の◠形に曲がる部分 [コアイメージ]丸く曲がる [意味]手首
夗と宛の古代文字については130「宛」の項参照。

[解説]
夗→宛→腕と発展する字である。日本では「うで」の意味に用いているが、古典漢語ではそんな意味ではなく、手首の意味である。古典での用例を見よう。

①原文:斷指以存腕、利之中取大、害之中取小也。
 訓読:指を断ちて以て腕を存するは、利の中大を取る、害の中小を取るなり。
 翻訳:指を切断して手首を保存するのは、利益のうちで大きいものを取ったのであり、被害のうちで小さいものを取ったのである。・・・『墨子』大取
②原文:瞋目扼腕。
 訓読:目をいからし腕を扼す。
 翻訳:目をかっと見開き、手首をぐっと抑える。・・・『商君書』君臣

①②とも腕は手首の意味で使われている。
②の関連語として切歯扼腕もある。憤激の余り、何かをしでかそうともどかしくなる状態を切歯扼腕というが、相手につかみかかるのを必死にこらえることを「手首を抑える」と表現した。
一見「うで」と理解してよさそうではあるが、古典漢語では手首から上の部分は膊といい、掌と膊の間を腕というのである。『釈名』釈形体で「腕は宛なり。宛曲すべきを言ふなり」と語源を説いている。
腕は「宛(音・イメージ記号)+肉(限定符号)」と解析する。宛は「夗(音・イメージ記号)+宀(限定符号)」と解析する。夗がコアイメージの源泉である。「夕(よる)+卩(背を丸くかがめる)」を合わせて、夜間に背を丸めて寝る情景。これに宀(屋根・家)を添えた宛は屋根の下(家の中)で背を丸めて寝る情景。夗も宛も「丸く曲がる」「◠の形に曲がる」というイメージを示す。肉は身体と関係がある意味領域を指示する限定符号。したがって腕は◠の形に曲がる部分、すなわち「手首」を暗示させる。
日本で「うで」(肩から肘までの間)に用いるのは誤用である。

〈同源語のグループ〉
d-25-ⅳ-ウ 「腕」 本項。
d-25-ⅳ-カ 「椀」 「宛(音・イメージ記号)+木(限定符号)」。宛は「丸く曲がる」のイメージ。◡形に曲がった木製の食器、「わん」の意味。
d-25-ⅳ-キ 「碗」 「宛(音・イメージ記号)+石(限定符号)」。宛は「丸く曲がる」のイメージ。◡形に曲がった鉱物製の食器、「わん」の意味。

d-25-ⅳ-ク 「婉」 「宛(音・イメージ記号)+女(限定符号)」。宛は「丸く曲がる」のイメージ。女性が体をくねくねと曲げる情景。女性がくねくねしてなまめかしい→しなやかで美しい意味。
d-25-ⅳ-ヶ 「菀」 「宛(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」。宛は「丸く曲がる」のイメージ。柔らかく曲がったひげ根をもつ草、シオン(紫菀)。紫苑と書くのは誤り。
d-25-ⅳ-コ 「豌」 「宛(音・イメージ記号)+豆(限定符号)」。宛は「丸く曲がる」のイメージ。くねくねと曲がった巻きひげをもつ豆科の植物、エンドウ(豌豆)。
(他の同源語は130「宛」の項参照)

Ⅰ-d 人間のイメージ宛怨2

Ⅰ-d-25-ⅰ 「卩」(㔾)
Ⅰ-d-25-ⅳ 【夗】 *・iuăn➔・iuʌn(呉音ヲン、漢音ヱン)
Ⅰ-d-25-ⅳ-ア 【宛】 *・iuăn➔・iuʌn(呉音ヲン、漢音ヱン)
[字源]屋根の下に体を丸めて寝る情景 [コアイメージ]丸く曲がる [意味]体をくねらせる
*図は左から夗の篆文、宛の篆文。

[解説]

夗が基本になる字である。夗は単独では使われないが、宛・怨・苑・鴛などの構成要素で、コアイメージを提供する基幹記号となっている。
宛は日本語では「あて」「あてる」に使われるが、古典漢語ではそんな意味はなく、古典に次のように使われている。

①原文:宛彼鳴鳩 翰飛戾天
 訓読:宛たる彼の鳴鳩 翰たかく飛んで天に戻いた
 翻訳:くるりと身を返すカッコウは 高く飛んで天まで届く・・・『詩経』小雅・小宛
②原文:宛在水中央
 訓読:宛として水の中央に在り
 翻訳:どうやら川の真ん中にいるらしい・・・『詩経』秦風・蒹葭

①は体をくねらせる、また、くねくねと曲がる意味、②は「どうもそれらしい」「さながら似ている」と婉曲的にいう用法である。
①が最初の意味で、古典漢語では・iuănといい、これを視覚記号に換えて宛が考案された。
宛は「夗(音・イメージ記号)+宀(限定符号)」と解析する。夗は「夕+㔾」からできている。㔾は卩と同じで人がひざを曲げてしゃがむ形。縦向きを横向きにすると体を丸めてよこたわる姿になる。夕は三日月の形で、夜と関係があることを示す。したがって夗は「卩(イメージ記号)+夕(限定符号)」と解析する。夜間に人が体を丸めて寝る情景と解釈できる。この意匠によって「丸める」「丸く曲がる」「⁀の形に曲がる」というイメージを示す記号となる。
宛は
に屋根や家と関係があることを示す限定符号である「宀」を添えた字。夗の図形的意匠に屋根の下や、家の中という場所の情報を加えただけである。だからコアイメージは夗と全く変わらない。かくて「⁀の形に丸く曲がる」というコアイメージから上の①の意味が実現される。

〈同源語のグループ〉
d-25-ⅳ-ア 「宛」 本項。
d-25-ⅳ-イ 【怨】 「夗(音・イメージ記号)+心(限定符号)」。夗は⁀の形に丸く曲がる」というイメージから「押さえられてかがまり、伸びない」というイメージに転化。心が何かに押さえられて不快になり、伸び伸びしない状況。いつまでも根にもって晴れない→うらむ意味。
d-25-ⅳ-ウ 【腕】 別項で詳述。131「腕」を見よ。
d-25-ⅳ-エ 「苑」 夗(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」。夗は丸く曲がる」のイメージ。植物の周りを丸く柵や垣でめぐらす情景。「その」の意味。
d-25-ⅳ-オ 「鴛」 夗(音・イメージ記号)+鳥(限定符号)」。夗は丸く曲がる」のイメージ。‿形に曲がった銀杏羽をもつ鳥、すなわちオシドリ。
(他の同源語は131「腕」の項に)

Ⅰ-d 人間のイメージ抑

Ⅰ-d-25-ⅰ 「卩」
Ⅰ-d-25-ⅱ 「印」
Ⅰ-d-25-ⅲ-ア 【𢑏】 ・iәk(呉音オク、漢音ヨク)
Ⅰ-d-25-ⅲ-イ 【抑】 ・iәk(呉音オク、漢音ヨク)
[字源]印の鏡文字 [コアイメージ]上から下へ押しつける [意味]上から押さえつける
*図は左から𢑏の篆文、抑の篆文。

[解説]
『説文解字』に「反印に従ふ」とあるように印と𢑏(ヨク)は鏡文字である。鏡文字は普通は反対の意味・イメージを作るテクニックであるが、印と𢑏は同源の語で、コアイメージは同じである。語形が少し異なり、実現される意味も異なるので、印の鏡文字とすることで差別化を図ったのであろう。
𢑏は単独で使われることはなく、抑が使われる。古典に次の用例がある。

①原文:高者抑之、下者擧之。
 訓読:高き者は之を抑へ、下ひくき者は之を挙ぐ。
 翻訳:高いものは下に押さえ、低いものは高く上げる。・・・『老子』七十七章
②原文:威儀抑抑
 訓読:威儀抑抑たり
 翻訳:威儀は重々しい・・・『詩経』小雅・賓之初筵
③原文:克自抑畏。
 訓読:克く自ら抑畏す。

 翻訳:自らよく謙虚で恭しい。・・・『書経』無逸
④原文:抑此皇父
 訓読:そもそも此の皇父
 翻訳:いったいこの皇父という人は・・・『詩経』小雅・十月之交

①は上から力で押さえつける意味、②と③は比喩的に、心構えや身構えが低く押さえられたように重々しい様子の意味である。④は少し変わった用法で発語の詞である。話題になっている事柄を一旦押さえ止めて、話を転換させる用法で、「そもそも」と読む。
①の意味をもつ古典漢語を・iәkといい、これを表記するために抑が考案された。抑は「𢑏(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。𢑏は上で述べたように印の鏡文字であるが、印と同じ「上から押しつける」というイメージを表す。手は手の動作と関係があることを示す限定符号。したがって抑は上から下のものを手で
押さえつける情景である。この意匠によって、上の①の意味をもつ・iәkの表記とした。

Ⅰ-d 人間のイメージ印

Ⅰ-d-25-ⅰ 「卩」
Ⅰ-d-25-ⅱ 【印】 *・ien➔・iĕn(呉音・漢音イン)
[字源]上から手で押さえて人をひざまずかせる情景 [コアイメージ]上から下へ押しつける [意味]はんこ
*図は左から甲骨文字・金文・篆文。

[解説]
古典では「はんこ」の意味をもつ語に二つある。印と璽である。印は『墨子』に、璽は『周礼』や『荘子』に出る。どちらが古い語かははっきりしないが、成り立ち(字源・語源)が違う。印は「押しつける」というイメージ、璽は「近づける」というイメージから生まれた語である。「はんこ」の形態ではなく機能に基づく語である。
印は「爪+卩」に分析できる。ⴹは爪(下向きの手)の変形である。「爪+A」という構成をもつ字に妥・采・爲などがあるが、いずれも手が下のものに対して作業を行うことを示している。卩はひざまずく人の形。立っている人がひざまずくと∠の形になる。|が∠の形になると間隔が短くなる。上から押さえた形でもある。したがって印は「卩(イメージ記号)+爪(限定符号)」と解析する。人を上から押さえてひざまずかせる情景である。この意匠によって「上から押さえる」「上から下へ押しつける」というイメージを表すことができる。
*・ienは「上から押さえる」というコアイメージをもつ語で、このコアイメージが具体的文脈では「はんこ」の意味を実現させる。印は次に述べる抑(おさえる)と同根・同源の語である。
「上から押しつける」というコアイメージが文脈でそのまま実現されることがある。これが印象・印刷など印である。

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