漢字の字源・語源図鑑

そもそも漢字とは、意味をもつ漢語という古典語を表記するシステムである。漢字だけで意味をもつわけではない。したがって漢字の成り立ちの解明は、字源だけでは半端であり、語源と相まって初めて正しい理解が得られる。本ブログは、漢字をその起源である原初的イメージに立ち返り、イメージ別に分類し、語源を究明することによって、その構造を解明するものである。

2018年09月

Ⅰ-d 人間のイメージ此

Ⅰ-d-4 「匕」
Ⅰ-d-4-ⅲ-ア 【此】 *ts'iĕr➔ts'iĕ(呉音・漢音シ)
[字源]左右の足がちぐはぐになって前のめりになって傾く情景 [コアイメージ]ちぐはぐでそろわない [意味]近い物事を指す代名詞(これ)
*図は左から此の甲骨文字・金文・篆文。
[解説]
此は「止+匕」に分析する。止は足(foot)の形。匕は「人」の鏡文字である。鏡文字は反対のイメージを表す造形法のテクニックである。正常な姿勢の人に対して、変わった姿勢になることを示す。したがって此は正常に歩いて来た足(左右交互に踏み出して歩いて来た足)が何かにつんのめって体勢が傾く情景である。正常に立つ姿勢を|で表すと、傾く姿勢はᒥの形や、∠の形や、∧の形になる。直線が折れ曲がると上下の距離は短くなる。「短い」は「近い」というイメージにもなる。また∧の形が連鎖すると∧∧∧∧(ぎざぎざ)の形になり、「ちぐはぐ」「そろわない」というイメージになる。「近い」というイメージから、近い物事を指す用法が生まれ、「そろわない」というイメージから同源語のグループが形成された。

Ⅰ-d-4-ⅲ-イ 【紫】 *tsiĕr➔tsiĕ(呉音・漢音シ)紫[字源]二つの色が入り混じる情景 [コアイメージ]ちぐはぐでそろわない・入り混じる [意味]むらさき
*右図は紫の篆文。
[解説]
色の「むらさき」はムラサキという草を染料にしたと言われる。ムラサキという草の名が先にあって「紫」という色の名が出たのか、それとも逆か。問題のあるところである。草のムラサキは茈と書く。ところが紫という色の名が早く出現する。

①原文:惡紫之奪朱也。
 訓読:紫の朱を奪ふを悪む。
 翻訳:[現代ファッションで]紫が朱色を排除するのが許せない。・・・『論語』陽貨
②原文:其下多茈草。
 訓読:其の下茈草多し。
 翻訳:その[山の]のふもとにはムラサキが多い。・・・『山海経』北山経

①は色の名の「むらさき」、②は草の名のムラサキである。『論語』では二篇で紫への言及がある。一つは紫色を肌着に用いないこと、もう一つは紫色への嫌悪感である。なぜ孔子は紫色を嫌ったのか。それは正色の青と赤の混ざった中間色だからとされている。孔子は純正な色を尊重したようである。
古代漢語で「むらさき」を*tsiĕr(紫)といったのはムラサキという植物の名に由来するのではなく、色が混ざっていて不純であるという色の性質に由来する。草の名は「紫」という図形が定着してから、糸を艸に換えて生じた(後に茈草は紫草とも書かれるようになった)。
紫の字源は「
此(音・イメージ記号)+糸(限定符号)」と解析する。此は上で述べたように「ぎざぎざ・ちぐはぐでそろわない」というイメージがある。これは「いくつかのものがちぐはぐに入り混じる」というイメージに展開する。糸は染色と関係があるから、色の名を指示するための限定符号である(ほかの例に、紅・緑・紺など)。かくて紫の図形的意匠は「二つの色(青と赤)がちぐはぐに(不純に)入り混じる色」ということである。

〈同源語のグループ〉
d-4-ⅲ-ア 「此」 本項。
d-4-ⅲ-イ 【紫】 本項。
d-4-ⅲ-ウ 【雌】 次項で詳述。
d-4-ⅲ-エ 【柴サイ】 「此(音・イメージ記号)+木(限定符号)」。此は「ぎざぎざでそろわない」のイメージ。木を不ぞろいに束ねる情景。小さな雑木や薪にする。木しば。
d-4-ⅲ-オ 【砦サイ】 「此(音・イメージ記号)+石(限定符号)」。此は「ちぐはぐでそろわない」のイメージ。石をちぐはぐに組む情景。とりで。
d-4-ⅲ-カ 「疵シ」 「此(音・イメージ記号)+疒(限定符号)」。此は「ぎざぎざ」のイメージ。ぎざぎざした打ち身・傷。
d-4-ⅲ-キ 「觜シ」(=嘴) 「此(音・イメージ記号)+角(∧の形。比喩的限定符号)」。此は「∧の形や∨の形に食い違う」のイメージ。上下が∧∨の形を呈する鳥のくちばし。

Ⅰ-d 人間のイメージ頃

Ⅰ-d-4 「匕」
Ⅰ-d-4-ⅱ-ア 【頃】 *k'iueŋ➔k'iɛuŋ(呉音キヤウ、漢音ケイ)
[字源]頭を斜めに傾ける情景 [コアイメージ]斜めに傾く [意味]斜めに傾く
*図は頃の篆文。

[解説]
まず古典における頃の用例を見る。

①原文:摽有梅 頃筐墍之
 訓読:なげうつに梅有り 頃筐ケイキョウ之を墍くす
 翻訳:投げる梅の実 手かごに空っぽ・・・『詩経』召南・摽有梅
②原文:天下悖亂而相亡、不待頃矣。
 訓読:天下悖乱して相亡ぶ、頃ケイを待たず。
 翻訳:天下が乱れて滅びるのは時間の問題だ。・・・『荀子』性悪
③原文:田萬頃、爲戸萬戸。
 訓読:田万頃、戸を為すこと万戸。
 翻訳:一万頃の田んぼができ、一万の戸数が
生まれる。・・・『管子』揆度

①は斜めに傾く意味。∠の形をした手かごを頃筐という。②はわずかな時間(しばらく)の意味。③は田の面積を数える単位である。
①が本義であり、これを古典漢語でk'ieŋといい、この聴覚記号を代替する視覚記号として考案されたのが頃である。
頃は「匕+頁」に分析する。匕は人の鏡文字である。鏡文字は反対のイメージを表すための造形法のテクニックである。「人」が正常にまっすぐ立つ人の姿とすれば、「匕」は正常ではない斜めに傾いた姿である。頁は人の頭と関係があることを示す限定符号。したがって「匕(イメージ記号)+頁(限定符号)」と解析し、「頭を斜めに傾ける情景
」という図形的意匠が読み取れる。
斜めに傾く姿を図示すれば∠の形である。|(まっすぐ)が途中で折れた形である。そうすると上下の距離は短くなる。空間的イメージは時間的イメージに転用される。ここから「時間が短い」「わずかの時間、しばらく」という意味が生まれる。これが②である。
一方、∠の形は∧の形でも表せる。歩く際、両足を∧の形にして進む。だから一跨ぎを頃という。二跨ぎは歩である。土地の長さを測る際、∧∧∧∧の形に歩を重ねていく。田んぼなどの面積を測る場合周囲を歩数で数えていく。かくて百畝に相当する面積の単位を頃という。これが③の意味である。

Ⅰ-d-4-ⅱ-イ 【傾】 *k'iueŋ➔k'iɛuŋ(呉音キヤウ、漢音傾
ケイ)
[字源]人が姿勢を斜めに傾ける情景 [コアイメージ]斜め
に傾ける [意味]斜めになる(かたむく)
*右図は傾の篆文。


[解説]
傾は音も基本義も頃と同じである。頃が上で述べた通り②③の意味に転じたため、最初の「かたむく」の意味に限定するため傾が作られた。しかし傾の登場も非常に古く、次の用例がある。

①原文:危者使平、易者使傾。
 訓読:危ふき者は平らならしめ、易き者は傾けしむ。
 翻訳:でこぼこなものは平らにさせ、のっぺらぼうなものは斜めにさせる。・・・『易経』繋辞下
②原文:哲夫成城 哲婦傾國
 訓読:哲夫城を成し 哲婦国を傾く
 翻訳:賢い男が城を作ると 賢い女が国を危うくする・・・『詩経』大雅・瞻卬

①斜めにする(かたむける)、斜めになる(かたむく)の意味、②はバランスを失って崩れそうになる、危うくするという意味で使われている。
斜めになるとバランスが崩れるから②の意味を派生する。古典ではこの意味で使われることが多いが、「空間的に斜めになる」ことの比喩的用法である。
傾は「頃(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。頃は上で述べた通り「斜めに傾く」というイメージがある。したがって傾は「人が姿勢を斜めにする情景」と解釈できる。字源も語源も頃とほぼ同じである。ただ傾は②の意味に展開することが頃とは異なる。

Ⅰ-d 人間のイメージ匕

Ⅰ-d-4 【匕】
*図は左から甲骨文字・金文・篆文。
[解説]
「匕」は「人」の鏡文字である。「人」は左向きの人、「匕」はそれの裏返しで右向きの人。鏡文字は反対のイメージを作るための造形法のテクニックである。「人」が正常に立つ人とすれば「匕」は変わった姿勢の人。「人」が男だとすれば「匕」は女である。牝(めす)に「匕」が含まれている。
「匕」はさじ(スプーン)やあいくち(匕首)を表す場合もある。同形衝突である。この場合の「匕」はイメージ分類では「文化」に収めてある。
なお「化」の右側も同形になっているが、本来は別の形であり、「𠤎」と書いて区別する。

Ⅰ-d-4-ⅰ 【后】 *ɦug➔ɦәu(呉音グ、漢音コウ)后
[字源]人体の後ろにある穴の情景 [コアイメージ]後ろ [意味]天子
*左図は左から甲骨文字・金文・篆文。

[解説]
現代中国では「后」は「後」の簡体字となっているが、それには根拠がある。古人は「后は後なり」と語源を説いている。「后」には「後ろ」というコアイメージがあった。しかし最古の文献(『詩経』『書経』など)では「のち」の意味ではなく「天子」の意味しかない。「のち」と「天子」はどんな関係があるのか。
古典における用例を見よう。

①原文:商之先后 受命不殆
 訓読:商の先后 命を受けて殆あやふからず
 翻訳:殷の先王は 天命を受けてしっかり立った・・・『詩経』商頌・玄鳥
②原文:天子有后、有夫人。
 訓読:天子、后有り、夫人有り
 翻訳:天子の妻には后があり、夫人がある。・・・『礼記』曲礼

原文:知止而后有定。
 訓読:止まるを知りて后のち定まる有り。
 翻訳:自分が止まる所を知って初めて自分の指向が定まる。・・・『礼記』大学


①は天子、王の意味、②は天子の妻の意味、③は「のち」の意味である。
歴史的には「天子」の意味が最初に出るが、論理的には③の「あと、のち」の意味から①②へ展開したと考えられる。
「后」の字源を考える。「后」と「司」は鏡文字である。「司」を裏返すと「后」になる。司は「口(穴)+人」、后は「匕(右向きの人)+口(穴)」である。人体の前にある穴は尿道であり、人体の後ろにある穴は肛門である。これらは反対方向になっている。司は尿道の機能から、「小さい穴」「狭い穴から出入りする」というイメージのほかに、「小さい」というイメージを示す記号になる。これと反対に、后は「大きい」というイメージを表すほか、「空間的に後ろの方」を暗示させる記号となる。
「後ろ」というイメージがそのまま実現されたのが③である。「後ろ」は空間的イメージだが、時間的イメージにも転用される。
一方、肛門は尻の底部にあり、底部は上方の厚みを支える所なので、后は「分厚い」というイメージを表すことができる。后と厚は同系の語である。ちなみに厚の異体字に「垕」があり、また、大きくて分厚い大地を「后土」という。
「司」の反対のイメージである「大きい」は「分厚い」というイメージと連合する。かくて后がなぜ天子の意味をもつかの理由が明らかになる。国を開いた神話的始祖の後を継ぎ、万民の上に大きくそそり立つ立派な人という意味が発生した。これが天子なのである。
后は天子の意味だが、のちには天子の妻(きさき)の意味に転じた。これはなぜか。古人は「后は後なり。後胤(子孫)を広むるなり」と述べている(唐も孔穎達、『礼記』の疏)。つまり天子の後継ぎを産む女性という解釈。これは正当であろう。
[余談]「寧ろ鶏口と為るも牛後と為る勿れ」という故事成語がある。この後は后と同じである。牛の肛門となるよりは鶏の口となるのがましということ。大の尻につくよりも小のトップがよいという意味の諺である。後・后を肛門や尻の意味で用いているのは面白い。原初的イメージが戦国時代にも残っていた証拠である。

〈同源語のグループ〉
d-4-ⅰ-ア 「后」 本項。
d-4-ⅰ-イ 「垢コウ」 「后(音・イメージ記号)+土(限定符号)」。后は「分厚い」のイメージ。分厚くたまった土。あか。


Ⅰ-d 人間のイメージ衆2衆3

Ⅰ-d-3 【众】
*図は左から甲骨文字・篆文。
[解説]
众」は人を三つ合わせた字。『説文解字』では「衆立つなり。三人に従ふ」とある。後世では魚音切(ギム)の音とされている。しかし众は衆の下部を独立させた字と考えられる。だからもともと同字であった可能性がある。現代中国では衆の簡体字に使われている。

Ⅰ-d-3-ⅰ 【衆】 *tioŋ➔tʃiuŋ(呉音ス・シュ、漢音
シュウ)衆
[字源]多くの人が集まっている情景 [コアイメージ]いっぱいになる [意味]多くの人々
*図は左から甲骨文字・金文・篆文。

[解説]
「衆」は楷書では「血+众」になっているが、これでは理解不能。古代文字に遡ると、篆文と金文では「目+众」、甲骨文字では「日+众」になっている。これで初めて解釈ができる。众は「人」が三つ並んでいる形。したがって甲骨文字は「太陽の下で人が多く集まっている情景」である。篆文の「目」は「日」を誤ったのかもしれないが、目でも解釈はできる。つまり「監視下で多くの人を働かせている情景」である。いずれにしても「集まっている人」に重点がある。
古典では衆は次のように使われている。

①原文:王命衆、悉至于庭。
 訓読:王、衆に命ず、悉く庭に至る。
 翻訳:王が大衆に命ずると、彼らはみな庭にやってきた。・・・『書経』盤庚上
②原文:衆維魚矣
 訓読:衆いなり維れ魚は
 翻訳:魚がいっぱいだ・・・『詩経』小雅・無羊

①は多くの人々の意味、②は多い意味で使われている。
語源から見ると*tioŋ(衆)は充(いっぱいにみちる)や終(いっぱいになって尽きる)などと同系である。だから衆は「いっぱいに満ちて、入れる余地がないほど多い」というイメージの言葉である。これから、多くの人たちという意味が生まれる。この語を図形化するために三人の人の図案が作られた。これが「众」である。これだけで十分なはずだが、もっと具体的な場面を設定し「日+众」、つまり太陽の下で働く多くの人たちという図案にした。字体はのちに「眾」となり、ついに「衆」となって訳が分からなくなった。

Ⅰ-d 人間のイメージ併1

Ⅰ-d-2 「从」
Ⅰ-d-2-ⅳ-ア 【幷】 *pieŋ➔piɛŋ(呉音ヒヤウ、漢音ヘイ)
[字源]二人を並べ合わせる情景 [コアイメージ]二つのものを並べる [意味]一緒にあわせる
*上図は左から幷の甲骨文字・金文・篆文。
[解説]
幷の楷書は変形しているため分析不能。古代文字に遡ると「从+二」であることが分かる。从は「人+人」を合わせて、二人が同じ方向に並んでいる図形である。從の原字である从とは視点の置き方が違うが、旅に含まれる从とは同じ。「二」は二本の線である。これは「二つ並ぶ」「二つくっつく」「二つ合わせる」というイメージを示す象徴的符号。漢数字の「二」と同じ。幷は二人を並べて一緒に合わせる情景と解釈できる。二つ、あるいは二つ以上のものを合わせて一にするという意味を暗示させる。

Ⅰ-d-2-ⅳ-イ 【併】(倂) *pieŋ➔piɛŋ(呉音ヒヤウ、併2漢音ヘイ)
[字源]二人の人を並べて一緒にあわせる情景 [コアイメージ]二つのものを並べる[意味]二つ以上のものを合わせて一緒にそろえる(兼ね合わせる)
*右図は倂の篆文。
[解説]
倂は「幷(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。幷は上記の通り、二人を並べて一緒に合わせる情景。これに人と関係があることを示す限定符号を添えた倂は、図形的意匠は幷と同じ。意味も同じである。「併せる」と読み、合併・兼併として用いる。

〈同源語のグループ〉
d-2-ⅳ-イ 「併」 本項。
d-2-ⅳ-ウ 【瓶ビン】 「幷(音・イメージ記号)+瓦(限定符号)」。幷は二人を並べて一つに合わせる情景で、「⌷-⌷の形に並べる」というイメージがある。瓶はおけを二つ並べて、上げ下げして水を汲む情景。もとは「つるべ」の意味。「びん」は転義。
d-2-ⅳ-エ 「餅ヘイ」 「幷(音・イメージ記号)+食(限定符号)」。幷は「⌷-⌷の形に並べる」というイメージから、「平らにそろえる」というイメージに転化。餅は小麦粉をこねて平らにならす情景。小麦粉食品の名(ピン)。日本では「もち」に使う。
d-2-ⅳ-オ 「屛ヘイ」 「音・イメージ記号)+尸(限定符号)」。幷は「⌷-⌷の形に並べる」のイメージから、「⌷-⌷-⌷-⌷の形に並べる」のイメージに転化。屛は板などを⌷-⌷-⌷-⌷の形に並べて内部が見えないように作ったもの、ついたて(屏風)や垣など。
d-2-ⅳ-カ 【塀】 屛(内部が見えないように遮るもの)に土偏を添えて「土の垣(土べい)」を表した国字。

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