漢字の成り立ちの原理である六書の一つ。六書とは象形・指事・会意・形声・仮借・転注である。仮借とは文字通り「借りる」ことである。aという意味をもつ漢字(Aとする)が無い場合、Aと音の同じ(あるいは、似た)Bを借りてaを表すと定義される。
例として白川説を二つ挙げる。
「九」・・・「象形。身を折り曲げている竜の形。数の「ここのつ」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借の用法である」
「五」・・・「仮借。木を斜めに交叉させて作った器物の二重の蓋の形。これを数字の五に用いるのは、その音だけを借りる仮借の用法である」

仮借説の問題の一つは、これは果たして漢字の原理かということである。漢字を創造する原理は仮借と転注以外の四つである。仮借は何の創造もしていない。では仮借された側はいったいどうして創造されたのか。「九」は竜の形というが、「竜」を意味するのか。つまり「竜」を意味する言葉を表記するために創造されたのか。否定も肯定もできないが、証拠はない。また「五」は「器物の二重の蓋」の形というが、「器物の二重の蓋」を意味する言葉の表記として創造されたのか。これも証拠がない。証拠がないことを仮借説の根拠としている。仮借説は最初から破綻せざるを得ないだろう。
論理的に突き詰めると、すべての仮借説は行き詰まらざるを得ない。