漢字の字源・語源図鑑

そもそも漢字とは、意味をもつ漢語という古典語を表記するシステムである。漢字だけで意味をもつわけではない。したがって漢字の成り立ちの解明は、字源だけでは半端であり、語源と相まって初めて正しい理解が得られる。本ブログは、漢字をその起源である原初的イメージに立ち返り、イメージ別に分類し、語源を究明することによって、その構造を解明するものである。

「令和」について

「平成」は昭和天皇の崩御の後、慌ただしい中で発表され、国民が元号としてふさわしく思うかの調査をする暇もなかったように思う。今回の「令和」は四月一日発表の予告があり、首相のパフォーマンスもあってか、テレビや新聞で盛り上がった。世論調査では8割ほどが新元号に好感を抱いているという。しかし中では「令和」という名称に反発や違和感もあるようである。ある人は令は真っ先に命令や令状を思い浮かるから、よい印象を持たないという。また海外では"order and peace"などと訳されたので、政府は慌てて"beautiful harmony"と英訳したらしい。
専門家(歴史や文学)の間では典拠に対する異論もある。首相は『万葉集』の梅花の歌の序文が典拠だと説明したが、江戸時代からその部分が『文選』を下敷きにしているという指摘があるらしい。
 「初春令月、気淑風和」(『万葉集』巻5)
 「仲春令月、時和気清」(『文選』巻15、張衡「帰田賦」)
誰が見ても上は下の引用であることは明らかだろう。令和が『万葉集』に典拠があるというのは事実としても、中国古典とのつながりを無視して、日本の独自性を強調するのは行き過ぎであろう。
出典の文章を見た限りでは、"order and peace"も"beautiful harmony"も誤訳である。典拠のある語はそれに制約されるのが普通で、無関係な意味を作り出すことは考えにくい。上文に使われた令は「良い」「美しい」といった意味、和は「おだやか」「なごやか」という意味である。二つを合わせた令和は「時節が良く、かつ、気候がおだやか」という意味が基本である。これを拡張するとせいぜい「風土(自然・環境)はおだやかで、そこに住まう民はなごやか」といった程度の意味になるだろう。これ以上の意味に取ることは深読みになる。
「平成」の場合は『書経』大禹謨の「地平らぎ天成り、六府三事允に治まる」が出典である。洪水を治めた禹の功績をたたえた文で、大地が平定され、天の秩序が定まり、万物が生を遂げられるようになったことを述べている。これを典拠とする平成は「混乱や無秩序がなくなり、天地の調和・平和が達成される」といった意味が読み取れる。
二つの漢字を結合させて熟語を作るには漢文の文法に従わねばならない。それは次の五つの規則である。
(1)主述の構造 A(主語)+B(述語) 例、国立(国が立てる)
(2)修飾の構造 A(修飾語)+B(被修飾語) 例、国民(国の民)
(3)並列の構造 A+B(同格の語同士) 例、国家(国と家)
(4)補足の構造 A(動詞)+B(補足語) 例、立国(国を立てる)
(5)認定の構造 A(認定の助動詞)+B(動詞・形容詞) 不定(定まらず)
平成は平(動詞)+成(動詞)で、3の並列の構造である。では「令和」はどの構造か。1と5は不適。2なら令の和、令なる和となろうが、「良い調和(平和、講和、和合)」などの意味に取れる。3なら令と和(名詞同士)、あるいは令にして和(形容詞同士)、あるいは令して和する(動詞同士)となろう。「命令と調和」「良好(善良)で、かつ穏和」「命令し、講和(調和・和合)する」などの意味に取れる。4なら「和を令する」(平和・講和・調和・和合を命令・司令する)というに意味に取れる。考えられる令と和の組み合わせは以上五つほどであるが、典拠にかなう最も妥当な組は形容詞同士の並列で、ほかはあり得ない組み合わせではないが、ちょっと無理である。
そもそも令はどういう意味か。
まず語源について。令は麗・歴・隣などと同じ単語家族に属する。これらは「数珠つなぎ、〇-〇-〇の形」という基本義がある(藤堂明保『漢字語源辞典』)。言い換えると「⌷-⌷-⌷-⌷の形に並ぶ」というコアイメージである。令にもこのコアイメージがある。「麗」にも見られるように順序よく並ぶというイメージは「形が整っている、整然として良い形である、きれいである」という美的感覚と結びつく。令は基本的に二つの意味がある。一つは順序よく整列させて指図をするという意味、もう一つは形や姿が整って美しいという意味である。
次は字源。前者の意味を図形に表現するために「亼+卩」を合せた「令」が作られた。亼は三方から中心に寄せて集めることを示す象徴的符号である。卩はひざまずく人の形。二つを合わせた令は
多くの人が中央に集まってきてひざまずく情景と解釈できる。これは君主が人(家来や民)を集めて何らかの号令を発する場面を想定している。『説文解字』では「令は号を発するなり」と解している。厳粛な場面なので人は列を作ってひざまずき、緊張して耳を傾ける様子が想像される。このような政治的行事から発想されたのが令である。
古典における令の用例を見てみよう。
①原文:自公令之
 訓読:公自
り之を令す
 
翻訳:お上から指図が下される・・・『詩経』斉風・東方未明
②原文:愼乃出令、令出惟行。
 訓読:慎んで乃ち令を出だす。令出づれば惟行へ。
 翻訳:慎重に命令を出す。命令が出たらひたすら実行せよ。・・・『書経』周官
③原文:掌其禁令。
 訓読:其の禁令を掌る。
 翻訳:そのおきてを管轄する。・・・『周礼』天官・冢宰
原文:母氏聖善 我無令人
 訓読:母は聖善なれど 我に令人無し
 翻訳:母は立派な方だけど 我らに良い子はいない・・・『詩経』邶風・凱風
①は上に立つ人(君主など)が指図する意味、②は指図、お達しの意味、③は上から下されるおきて(法)の意味である。②③は①からの派生義であるが、④は全く違った意味で、「姿・形が美しい」という意味である。
『書経』では②と④が半々ぐらい、『周礼』は圧倒的に③、『詩経』では圧倒的に④の意味が多い。例えば「令兄弟」「令妻」「令色」「令聞」「令徳
」「令儀」「令終(終りを令くす)」「不寧不令(寧からず令からず)」など、令は「(姿・形・性質などが)良い」という意味である。なお『易経』には令の用例がない。
『詩経』は最古の詩を集めた書物で、孔子が編纂したと言われるが、内容は紀元前11世紀から紀元前7世紀頃まで約五百年の幅のある時期の作品である。古典では最古の部類に属する。この『詩経』で最も多い令の用例は「良い」という意味であった。もちろん命令という意味も最初から存在したに違いないが、「良い」の意味も非常に古いことは確かである。令の諧声系列語群には零・齢のグループと伶・玲・鈴・怜・冷・羚・蛉・鴒などのグループがあり、前者は「数珠つなぎに並ぶ」というイメージ、後者は「形がよい」「清らか」「澄み切っている」というイメージが共通である。
「令」は命令・令状・律令などを想起させてイメージが悪いという意見は一面的である。「令」は古典の用例から見れば決して悪いイメージではない。ただしレイという音だけから冷や零を想起する人がいるかもしれない。

古典漢語は世界認識の際、物や事をイメージとしてつかんで言語化するという特徴がある。これを図形として表象するのが漢字である。漢字を解析していくと古代人の捉えた原初的イメージをあばき出すことができる。この作業を「漢字の考古学」と呼ぶ。考古学的発掘の作業に似ている。漢字は原初的イメージの宝庫である。「イメージの世界遺産」と名づけることもできよう。
例えば「陸」を分析すると「坴(リク)+阜」となる。「坴」を分析すると「圥(ロク)+土」となる。「圥」を分析すると「六(ロク)+屮」となる。陸→坴→圥→六と掘り下げていくと、「六」に到達する。「六」が原初的イメージである。これは「ᑎの形に盛り上がる」というイメージである。この形のイメージをもつ具体的なものを圥(キノコ)といい、坴(盛り土、おか)といい、陸(丘や山の集まり続く大地、陸地)というのである。では「六」そのものは具体的文脈ではいかなる意味が実現されるのか。全く抽象的な世界に属する数詞の一つとなるのである。
文字の成立史から見ると、「六」が陸よりも古い。しかし「六」は最初から陸を予想して図形化が行われたと考えられる。つまり「ᑎの形に盛り上がる」という抽象的なイメージは丘という具体的なものを念頭において発想されたふしがある。というのは数詞を作る際、「むっつ」という数をどのように名づけ、どのように図形として表象するかを考える際、まず数の特徴をつかまえる必要がある。数の特徴の一つは数の性質に着目することであるが、ほかに数の数え方の特徴に着目することもある。四までは数の性質から発想されたが、五と六は数え方の特徴から発想されている。十進法は人間の指が十本あることに由来する記数法であろう。数は片手の指でも数えることができる。10まで数える際、5(いつつ)は片手で終わる。10の半分であり、折り返し点(交点)に当たる。だから古典漢語では「交差する」というイメージをもつ「五」を創作してngag(いつつの意味)を表した。次の6(むっつ)は5に一本を付け足した数である。5を数える場合、おそらく指を折り曲げた考えられる(古代の指文字の証拠はないが)。指を折り曲げると握り拳になる。これの後に上に指を一本突き出したのが6の数え方と考えられる。この形状を盛り上がった形(具体的には丘)に見立てる。かくて「むっつ」という数詞を「六」という記号で表記する。以上のように六は陸(おか)を予想して創造された数詞であると考えられる。
陸を発掘すると数詞の「六」が見えるのである。

漢字の成り立ちの原理である六書の一つ。六書とは象形・指事・会意・形声・仮借・転注である。仮借とは文字通り「借りる」ことである。aという意味をもつ漢字(Aとする)が無い場合、Aと音の同じ(あるいは、似た)Bを借りてaを表すと定義される。
例として白川説を二つ挙げる。
「九」・・・「象形。身を折り曲げている竜の形。数の「ここのつ」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借の用法である」
「五」・・・「仮借。木を斜めに交叉させて作った器物の二重の蓋の形。これを数字の五に用いるのは、その音だけを借りる仮借の用法である」

仮借説の問題の一つは、これは果たして漢字の原理かということである。漢字を創造する原理は仮借と転注以外の四つである。仮借は何の創造もしていない。では仮借された側はいったいどうして創造されたのか。「九」は竜の形というが、「竜」を意味するのか。つまり「竜」を意味する言葉を表記するために創造されたのか。否定も肯定もできないが、証拠はない。また「五」は「器物の二重の蓋」の形というが、「器物の二重の蓋」を意味する言葉の表記として創造されたのか。これも証拠がない。証拠がないことを仮借説の根拠としている。仮借説は最初から破綻せざるを得ないだろう。
論理的に突き詰めると、すべての仮借説は行き詰まらざるを得ない。

  


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